【対話日記】2012年 二つの町の5月

文・写真:泉山朗土

 

今回女川に出発する前後、北九州市で震災瓦礫の広域処理による抗議活動がネット上で騒がれていた。デモ隊へ警察の強制介入やデモ参加者の妊婦が引きずられた、搬入日の空間線量が上昇した、搬出先である石巻市へ抗議電話が殺到しているなど。

photo by Road Izumiyama
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そんなニュースが流れていた翌日、ちょうど女川で小山田さん海子さんを中心に焚火を囲んで住民の人たちの被災当時の話を聴く機会があった。それはすごく簡単な助けあった話、支え合った話。「家族を探しに石巻から歩いた」。「初日の夜、暖を取るため燃えている時間の長いペットボトルを全部燃やしてしまい、翌日飲用水の容器が足りなくなった」。「国道が通行不能になったあと、初めて自衛隊が来た時の歓喜」。「配給の食事で三食まるごとバナナを食べ続け、結果みんな肥った」。それらをユーモアを交えて「今だから話せる」と面白おかしく笑いながら話していた。こんな話の中に、これからの震災にあった時にどう過ごしてゆくのか、これからどうまちを作ってゆくのか、そんな希望の火が沢山隠されているように思う。


前段で触れた広域処理。それらの情報の真偽はわからないが少なくとも石巻や女川の瓦礫が放射線が高い話は聞いた事がない。だが放射線の問題以上に遠方で暮らす僕たちは守るべきものについてきっと何か大事な何かを見逃している、あるいは理解していない気がしてならない。家族や仲間を守りたいのは皆同じ、だが妊娠している自分の妻をそんなところに向かわせる夫の気持ちは全く理解出来ないし、被災地に抗議の電話をかけるなど単純にあきれてしまう。備えるべき事、問題にたどり着く方法はそれらではない。


事が起こった時にどう過ごしてゆくのか。


被災地にかかわらず積極的にまちを見て皮膚感覚でものを知る事は、つまらないデマに惑わされる事もなく、「絆」なんて陳腐な言葉には集約出来ない、新しい周辺と自分との空間創造について積極的な思慮が出来るのだろう。触れられる未来は大きな出来事ではなく、日常の経験という道を歩き続ける時に完成されて行くものなのだと、全く異なる二つの町から今回は感じる機会になった。

photo by Road Izumiyama
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泉山 朗土 Road Izumiyama

(映像カメラマン)

1974年東京生まれ。武蔵野美術大学卒後、現代美術作家、柳幸典に師事。 2004年映像制作を主体とした現recomemo workshop & studio設立。 これまで日比野克彦、藤浩志、中ハシ克シゲ、小沢剛などの制作ドキュメントのほか環境設計プロジェクトの記録や企業・建築のプロモーション制作などを行っている。Susan Norrieの全撮影を手掛けた"SHOT" Edinburgh International Festival 2009/ "TRANSIT 2011" YOKOHAMA TRIENNALE 2011に出展。



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2012年9月号「迎え火特集」